いすみ鉄道キハ倶楽部会員限定で開催された「キハ52」の撮影会に参加。昭和30年代に数多く運行された房総半島の準急・急行ヘッドマークを掲げた姿を存分に撮影してきました!
*2022年2月の情報を基に作成しています
ローマの休日にあやかった急行列車
いすみ鉄道の国鉄形気動車を応援する「いすみ鉄道キハ倶楽部」。今回は会員限定で開催された撮影会に参加。観光急行の運行を終えた「キハ52」が休む車庫に特別に入り、思う存分撮影を楽しみました。
ヘッドマークを掲出する台座だけの姿は、なかなか見られない貴重な姿。羽を広げたようなデザインが素敵ですね!
このように、上から差し込むようにしてヘッドマークを掲出するのです。
撮影会のトップバッターは「房総の休日」。もはや単語ではない!?
後で調べてみると、オードリーヘップバーン主演の「ローマの休日」にあやかって国鉄が走らせた列車。さらに銚子電鉄の外川まで乗り入れた、めずらしい列車なのだそう。
外房・内房から、そと房・うち房に変化
「外房」「内房」。初期の頃はなんと「がいぼう」「ないぼう」と呼ばれてたんだって!のちに「そとぼう」「うちぼう」になったけど、漢字が正しく読んでもらえなくて窓口が混乱することがあったのだとか。
そこで考えた国鉄。なんと「外」と「内」をひらがなにしちゃった。たしかに、これなら確実に読み間違えないですね。
さらに、この頃からローマ字も表記されている事がわかります。
昭和30年代の房総半島を駆け抜けた列車たち
「総武」は僅か1年で消えてしまった列車名。
短命でとっても貴重なので、いっぱい写真撮っておいた!
カタカナ表記がめずらしい「フラミンゴ」。これは"ワッペン列車"と呼ばれる列車で、指定席ではないけど着席が保証された乗車定員制だったそう。
「くろしお」「汐風(しおかぜ)」「浜風(はまかぜ)」といえば、関西や四国で活躍する列車名ですが、当時は房総半島を走っていたのですね。
内房線特急でおなじみの「さざなみ」。当時は準急でした。
他にも、昭和30年代の房総半島を駆け抜けた列車たちがたくさん。
昭和30年代の房総半島の準急・急行列車に使用されていたのは「キハ10」「キハ20」「キハ55」などで、この「キハ52」の仲間といえる車両なのだそう。つまり当時の姿が忠実に再現されているのです。まさにあの頃にタイムスリップしたよう!スタッフさんのマニアックな解説付きで、最後まで楽しむ事ができました。
最後は、車両の側面で乗客に行き先を案内する、サボを撮影。
当時、房総半島へ行く列車は「両国駅」が始発でした。外房線回りの列車。当時は房総東線と呼ばれていました。
赤地に行き先を記したパターン。現在の外房線のラインカラーは赤色で、現代に通じるものがあります。
赤ひげ塗装で国鉄時代の四国を再現
「キハ52」の撮影会はこれで終了ですが、今回は特別に「キハ28」も撮影させて頂きました。しかも、国鉄時代の四国のヘッドマークを取り付けて!
この時は、国鉄時代に四国の予讃線・予土線などを走っていたミュージックホーン装着車に施されていた"赤ひげ塗装"が再現され、四国の急行列車のヘッドマークを掲出して運行されていました。
さらに、赤ひげ塗装がされていた当時のヘッドマークは白地に文字だけのタイプだったそうで、そこまで忠実に再現。すごい!
土讃線を走った「土佐」と予讃線を走った「いよ」。両方付けちゃった姿も、意外と様になってる。
色付きのヘッドマーク。こちらはなんと、JR四国から本物のヘッドマークを貸与したもの!
少し持たせて貰いましたが、かなり重たくてびっくり!これを取り替える作業は、さぞかし大変だった事でしょう。
予讃線を走った「うわじま」。
「能登路」はおまけ。
国鉄時代の四国を走った急行列車たち。
本物の貴重なヘッドマークがたくさん。
手前の「いよ」は新しく作成したもの。そして奥の「いよ」は当時使われていたもの。とっても貴重です。
という事で、今回の撮影会は終了。昭和の国鉄にタイムスリップしたかのような気分になって、存分に撮影を楽しむ事ができました。キハ倶楽部のスタッフの皆様、ありがとうございました!
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